淡路島まで合同演奏会の練習に行ってきました。

今日は淡路島まで、来月の3月27日に淡路島・津名町の「しずかホール」にて開催される「おほなゐ*1〜1995.1.17阪神・淡路大震災へのオマージュ〜(天野正道 作曲)」の合同演奏の練習に行ってきました。

この合同演奏ですが、今年がちょうど震災10周年、そしてこの合同演奏を主催する洲本吹奏楽団の結成二十周年ということで開催されることになったそうです。

またこの演奏会ですが、神戸新聞の淡路版でも取り上げられたそうです。
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/awaji05/0203js21990.html

「おほなゐ」の演奏時間は約30分、曲は地震によって街が破壊される情景を表現した第一楽章「瓦解」、地震によって荒廃した街並みや犠牲者への追悼を表現した第二楽章「荒廃、Requiem」、地震から街が力強く復興していく様子と祈りを表現した第三楽章「復興そして祈り」の3つの楽章から成り立っています。なおこの曲は、陸上自衛隊東部方面音楽隊隊長である岡野敬三氏の委嘱で作曲されました。

ちなみにこの曲が、私が演奏する「初天野作品」だったりします。天野氏のファンはよく見かけるし、氏の曲もよく耳にするのですが。


さて、そんな淡路島ですが、西宮からは遠かった! 昔は西宮から津名行きの船が出ており、私もその船に乗ってしずかホールに乗り込み、アンサンブルコンテストに出たこともあるのですが、この航路も明石海峡大橋の開通の影響を受けて廃止されてしまいました。というわけで、この日は西宮から電車で三宮、三宮からバスで津名へと向かいました。



バスの切符

ハラケン印でお馴染みの明石海峡大橋をわたり終えると、何となく日差しがきつくなったような気が。いよいよ寒風吹きすさぶ本土を離れ、トロピカルな南の島、、、ではなく淡路島にやって来ました。そういえば昔、マーチ「明石海峡大橋」なんていう曲を演奏したような記憶が。ちなみに橋の名前は「明石海峡大橋」、海峡の名前「明石海峡」ですが、本土側の橋の付け根は神戸市内だったりします。橋の付け根からもう少し西側、歩道橋事故・砂浜陥没事故で話題になった大倉海岸から西側が明石市内となります。

そんなこんなで、かって西宮行きのフェリーも発着していた津名港バス停に到着。津名「港」ですが、実質は「バスターミナル」なのね。前にこの港に来たのはもう10年ほど前なので、周囲がどんな風景だったか詳しくは忘れてしまいましたが、芦屋大学の海洋センターとしずかホールだけは、10年前見た時と変わっていませんでした。


さて今日の練習場は、付近の中学校の音楽室でした。この音楽室ですが、めっちゃ寒かったりします。橋を渡ったときに感じたトロピカルな雰囲気はいずこへ? そんな合奏場には見慣れた顔がちらほら、やっぱり世間は狭いなぁ。

今日の合奏ですが、なんとアルトクラの席がエスクラ席とバスクラ席の間に。クラリネットの特殊管ばかりを固めた斬新な座席配置だ、と思っていたら、別にそういう訳でもなかったらしい。

合奏した曲は重苦しい曲だったのですが、練習で重苦しい雰囲気になっても仕方がないので、サクっと合奏。フルートやクラリネットが大変そうでした。

そんな「おほなゐ」ですが、全国的に見ればけっこう演奏会やコンクールなどでも演奏されているそうです。関西では意外に天野作品って演奏されませんし、ましてや「おほなゐ」となると、今回のように「○○記念」という特別な事情でもない限り、演奏すること自体が何となく憚られる雰囲気があります。

演奏会まで、参加できる練習はあと前日のみ。アルトクラ吹きは俺一人だし、頑張らなくちゃ。

なお、このおほなゐが収録されたCDが川越奏和奏友会吹奏楽団より発売されています:川越奏和奏友会吹奏楽団−[CD]

*1:おおない:日本の古語で大地震という意味