私のトラウマな一曲

今日は、うちの奥さんが家を大掃除したそうです。すると、押入れから過去に出場したコンクールや演奏会のビデオを大量に発見したとのこと。最近では演奏会やコンクールの写真すら全く買っていませんが、昔はマメにこの手のビデオを買っていたものです。
というわけで、さっそくビデオ鑑賞♪ ちなみに今日鑑賞したビデオは、私の中学・高校時代に出場したコンクールのビデオです。
はっきり言って演奏はヘタですが、私にとっては懐かしい青春の思い出です。ちなみに私の通っていた中学・高校の吹奏楽部は男子校だったためか非常に部員数が少なく、中高生合わせても20〜30人程度しか部員が居なかったため、中学と高校が合同で高校の小編成の部に出場していました。そんなバンドでも毎年関西大会に出場し、優秀賞*1を獲得できる「小編成の部」っていったい・・・
 
 
このビデオの中には、いまだにトラウマとなっている一曲が。私のコンクール出場歴上、最も納得いかない出来ばえに終わってしまったあの曲です。いくらコンクールで悔しい思いをしても、他の出場回は「もう一度リベンジさせて下さい!」という気持ちになったことは無いのですが、この出場回だけは今でも「もう一度リベンジさせて下さい!」という気持ちで一杯です。でも優秀賞を受賞。やっぱり微妙だぞ、小編成の部!
恐る恐るビデオを見てみると、だんだんと当時抱いた数々の苦悩を思い出し、見終わる頃にはかなりブルーな気分に。もっとも、このコンクールが私のトラウマとなった最大の原因は、そもそも私がとてもヘタだったことが理由な訳ですが。今でもクラリネットはヘタですが、当時はもう「これでもかっ!」っていうほどヘタクソでした。
 
当時はマジで悩みましたし、とても惨めで情けない気分になりました。自分は音楽をする能力を欠いている人間ではと苦悩し、吹奏楽部を辞めようかと考えました。また自分はクラリネットに向いていないのではと苦悩し、「なんで吹奏楽部に入部した時、顧問は俺にクラリネットを手渡したんだろう?」などと自問自答したりしました。
いろいろ思い悩んだものの、幹部学年ですし、パートリーダーですし、大きな行事も控えていますし、大きな行事の後は部活を引退するまで数えるほどしか行事が残っていなかったので、そのまま吹奏楽部を続けましたが。この疑問をもう少し早く感じていれば、このあと全く異なった人生を歩んでいたかもしれません。
いつまでもトラウマとして心に残していても仕方がないので、いつかはこの苦悩を克服して乗り越えたいものです。そしてあの時の苦悩を克服して乗り越えるために、私はこうして今でも当時と変わらず吹奏楽クラリネットを吹き続けているのかもしれません。

*1:大編成の部の「金賞」に相当? あまりにも大編成の部に劣るショボい小編成の部の演奏に対し、大編成と同じ名称の賞を出すのは問題だという理由で作られたというのが、当時部内で囁かれていたもっぱらの噂。