長野行き新幹線

もうすぐトリノオリンピックも終わってしまいますね。長野オリンピックでは日本選手の活躍もあり、それに関連して「K点を越えて」という課題曲も誕生しましたが、トリノ五輪ではなかなかそういった副産物を生み出すのは難しそうな雰囲気です。
 
吹奏楽的な見地から「長野五輪」という言葉を聞いて思い出すのはK点を越えてですが、鉄道趣味的見地から「長野五輪」という言葉を聞いて思い出すのは、碓氷峠の廃止と長野新幹線北陸新幹線(通称:長野新幹線、以下面倒くさいので長野新幹線と省略)の高崎―長野間開通でしょう。
私も碓氷峠が廃止される前に一度はこの路線に乗っておかなければ後々後悔すると思い、1997年9月下旬頃に碓氷峠のお別れに行ってきました。既に碓氷峠の廃止は目前に迫っており、横川―軽井沢間の碓氷峠はまるでラッシュ時の通勤列車のような混雑っぷりでした。
1997年10月1日、長野新幹線が開業し、それと同時に碓氷峠は廃止されてしまいました。私はこのニュースを何気なく家のテレビで見ていたのですが、長野新幹線を祝って地元の中高生?がパレードで演奏していた曲が、なんと1997年度の課題曲「五月の風」でした。意外な場所で意外な曲を耳にするものです。という訳で、私の心の中では「長野五輪=K点を越えて」と同様に「長野五輪=五月の風」という等式も成り立っています。
 
しかし、8月なのに「五月の風」や「K点を越えて」を演奏するのって、なんだか微妙な感じです