気の抜けた演奏

友人の「で。」さんのBlogのコメントの中で、

(楽団名)ってのは集中力が高まったときは良いけれど、普段の演奏ってのはまだまだアカンなぁって思うことが多いんですよね。つーか、数年前と比べても明らかに下手くそになりました
(中略)
「こんな風に演奏がしたいんだ」と言う意思表示の塊やった(楽団名)は戻ってくるでしょうか。

という一文を見つけました。

で。さんの所属している楽団は、大人の風格を感じさせられる吹奏楽界では貴重で素晴らしい楽団*1なんですが、そんなバンドでも色々と問題を抱えているのですね。そんな楽団には風格面でまだまだ及びませんが、自分が所属している楽団でも思い当たる節があったので、色々と考えさせられてしまいました。

演奏会に向けての集中力

あらゆる楽団で見かける光景ですが、演奏会に向けて集中力が高まってきた時には非常に良い演奏ができるのに、演奏会などが終わって気が抜けた時にはとても同じバンドとは思えないような低レベルの演奏をしてしまうものです。こういった状況で練習に参加するのは非常に辛いし、そもそもあまり意味がないことなのですが、練習参加人数が少ないとさらに演奏レベルがガクーンと落ちるし、ますます練習の意味がなくなってしまうので、私はこういった時期でも可能な限り練習に参加するようには努めています。

常にトップギアで活動し続けるのは疲れるし大変な事なので、普段はギアを落として活動するのも仕方がないことですが、再び演奏会などのイベントに向けて動き始めたときには、即座にギアを切り替えなければなりません。
このトップギアに入るのが早ければ早いほど、曲に対して集中的に取り組むことができる期間が長くなるのですが、トップギアに入るのが遅いと、より素晴らしい演奏を行うために向上を図る練習ができません。
学生バンドであれば、本番一週間になってようやくトップギアに入ったとしても、地力があれば演奏会に間に合ってしまいますが、練習回数が非常に制約される社会人バンドの場合、いくら遅くても本番一ヶ月前にはトップギアに入っていないと演奏会に間に合いません。

音楽に対する意思

ありますね、なんだか全く意思を感じられない演奏! そんな演奏を耳にするたびに「お前ら、いったい何が楽しくて、何を目指して音楽やっているねん!」と思ってしまいます。このあと「嫌ならやめちまえ!」という言葉が続くのですが、楽器を吹くこと自体が非常に楽しい趣味なので、本人たちは楽器を吹けるだけで満足しており、「嫌ならやめちまえ!」と演奏を聴いた他人に言われることは激しく心外でしょうが。
楽器を吹くことは大好きだけど、演奏することに対してそれほど重要視していないのでしょうか? 楽器を吹く、みんなで合奏をする、という行為自体がそもそも惰性化しているのでしょうか?
「いい年をした大人なんだし、せっかくの貴重な時間や貴重なお金を割いてまで音楽をやっているのだから、ただ集まって楽器を吹くだけではなく、もう少し頭で考えて大人ならではの演奏をしようよ」と思うのですが、ただ楽器を吹いているだけという結果に終わっていることが多いような気がします。

いろいろ書いたけど

いろいろエラソーに書きましたが、「ではお前はどうやねん?」と聞かれた時、残念ながらはっきり答えます、「ぜんぜん出来てません」と。私も練習にエンジンがかかるのは演奏会直前ですし、惰性で音楽をやって気の抜けた音を吹いている場面も多々あります。おそらく他の人も私に対して、いま私が書いたようなもどかしさを感じているでしょう。
いきなり理想を実現することは難しいですが、少しでも理想的な状態に近づけたいものです。

*1:吹奏楽界には部活のノリを引きずって活動している団が多すぎ!