スコアが入手できなく、やっぱり残念

昨日、アルプス交響曲のスコアを買おうとして失敗してしまいましたが、今回のアルプス交響曲購入の目的は、「脳内『わたしたちのアルプス』シミュレート」だったりします<おぃ

「私たちのアルプス」は、私たちの心の中にのみ存在しているからこそ美しいのです。私たちの心の内にあるからこそ美しい「私たちのアルプス」を他人にも知ってもらいたいと、公開の場で「私たちのアルプス」を見せつけてしまうと、途端に私たちの心の中では美しかった「私たちのアルプス」の美はどこかに消え失せ、跡には「『アルプス交響曲』を残酷にも切り刻んだ猟奇事件」という厳しい現実のみが残るのです。

要するに、一人でこっそり脳内で楽しむべきネタは、決して外界に出すなと。
 

日本人にとってR.シュトラウスと聞いて忘れてならないのが『皇紀2600年奉祝曲 Op.84』、Festmusik fuer grosses Orchester zur Feier des 2600 jaehrigen Bestehens des Kaiserreichs Japan op.84(大オーケストラのための日本帝国建国2600年記念祝典曲)だ。

昭和15年、日本の建国2600周年を記念する祝典曲の作曲依頼が、日本から、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ハンガリーの6カ国に対してなされましたが、それらの委嘱曲のうちの一曲がこれ。

ちなみに他の国から提供された曲は、フランスより『祝典序曲』(イベール)、イギリスより『鎮魂交響曲』(ブリテン)、イタリアより『交響曲』(ピッツェッティ)、ハンガリーより『交響曲第1番「日本風」』(ヴェレシュ)で、アメリカは「対日感情の悪化」を理由にこの依頼を断ったそうです。

今では名前を目にするだけで、あまり聞く機会の少ないこれらの作品、一度ゆっくりと聞いてみたいものです。

当時の音楽界の雰囲気を知りたい方は、こちらのページが参考になるかと思います。
昭和戦中期の音楽界について
 

吹奏楽界で「紀元2600年」といえば、紀元2600年を記念して始まった、みんなの夏の思い出「吹奏楽コンクール」。この記念するべき第一回の吹奏楽コンクールは「紀元2600年奉祝・大日本吹奏楽競演会並大行進」という名で、大阪にて開催されました。

この記念するべき第一回の吹奏楽コンクールで見事優勝をかっさらったのが、大阪東商業学校(現在の大阪市立東商業高等学校)。私が高校生の頃、ここの学校の演奏会を見に行ったのですが、パンフレットに「第一回全日本吹奏楽コンクール優勝」という話題を掲載していました。

当時の吹奏楽界の話題も、上記「音楽之友」に掲載されていますが、中でも『音楽之友』記事ノート 1943年01月号の「吹奏楽コンクール裏面史」には爆笑しました。

民間の吹奏楽団は学校、会社、向上、青少年団等にそれぞれその団体の要求で生まれたものであるから、技術を競う必要がどこにあるかと非難攻撃を受けたものだ。吹奏楽界では、コンクールは嫌われものだった。

コンクールって、既に開始当初から嫌われていたのかよ!

また、競争の弊を避けるために、第3回大会から2ヵ年連続の優勝団体は大会に招待して模範演奏を行なうことにしたので、川越商業学校と神戸喇叭修得団は、第3回大会に特別団体として招かれた。

以前から「バカな規則を作りやがった」と思っていたけど、、、あの規則ってコンクール開始当初からかよ!