「いまだに抜けない悪い癖」の反響

何気なく書いた昔の思い出話が、なんか凄い展開になってしまったみたいです。。。
 

昨日のコメント欄での議論についでですが、「http://blog.kansai.com/dave/29」にて吹奏楽とオケの比較という形式で、で〜ぶさんの意見が述べられています。というわけで、昨日のコメント欄での議論と、で〜ぶさんのページに書かれている点について私なりに考えてみました。なお、今回記載する意見はあくまでも私個人の意見であり、これが正解では決してありません。おそらく他の方々はまた異なった意見をお持ちでしょう。
数多くの方の意見が聞きたいです、思うことがあればどしどし書いてくださいね。
 

で〜ぶさんの中で述べられている「ラーメンとうどんの喩え」ですが、正しくその通りだと思います。ラーメンとうどんは同じ麺類ということで似てはいるものの、それぞれ異なった進化を遂げてきた食べ物です。それぞれが独自の進化を遂げたものであって、どちらが好みかという嗜好はあったとしても、どちらが優れているかなんていう質問は愚問にしか過ぎません。同じく吹奏楽とオーケストラは同じ音楽ということで似てはいるものの、それぞれ異なった進化を遂げてきた音楽です。嗜好はあったとしても、どちらが優れているかなんていう質問は愚問です。
 

私も吹奏楽の基本は行進曲、それも実際の行進の伴奏として吹奏される行進曲だと考えます。(残念ながら、現在の吹奏楽界ではこの部分が非常に軽視、あるいは無視されていると強く感じてしまいますが。)
だから、「屋外でも遠くにハッキリと届くような、大きくしっかりした音を奏でる」技術こそが、まず吹奏楽に携わる人間が優先して取得するべき技術ではないかと、私は考えます。もちろん「屋外でも遠くにハッキリと届くような、大きくしっかりした音」を出すためには、闇雲に力を込めてバリバリと吹けば良い訳では決してありません。いわゆる「遠鳴りする音」を出す必要があります。力任せだけで吹いた音は、概して遠くまで届かないものです。
「屋外でも遠くにハッキリと届くような、大きくしっかりした音」を出す技術がまず第一なのですが、この技術だけでは奏でられる音楽の幅も限られた狭いものにしか過ぎません。音楽の幅を広げるためには、この技術を習得した上で、さらに数多くの技術を習得する必要があります。力強いffも必要ですし、消え入るようなppも必要です。狂ったような荒々しい音色も必要ですし、やさしくあまく甘美な音色も必要です。まわりに溶け込んだ音質を出すことも必要ですし、周囲から浮き立つような音質を出すことも必要です。要は、どれだけいろいろな状況に対応できるようになるかです。
 

次にオケとの比較ですが、正直私は吹奏楽しかやったことが無く、吹奏楽の世界のことしか知らないので、他の合奏形態のことについて想像でしか口を挟むことはできませんし、吹奏楽自体を客観的な目で語ることすらできません。時間と機会さえあれば、吹奏楽以外のいろいろな合奏形態に参加して、いろいろと勉強はしたいのですが。。。
 

編曲問題についても書かれていますが。。。 この話題を語り始めると非常に長くなってしまうので、また項を改めて。
しかし一言だけ書いておきます、クラリネットは弦楽器ではない」と。オーケストラと吹奏楽はヘタに編成が似ている分、どうしても「少々の手直し」でオーケストラのために書かれた曲を吹奏楽で演奏しちゃおうという風潮が強くなってしまいます。
しかし、編曲者や指揮者、そしてクラリネット奏者自身が、クラリネットを弦楽器の代用品として曲を作り上げようなどと考えている限りは、決してまともな編曲作品には仕上がらないと、くら吹きの私は強く強く確信しております。それは「編曲」ではなく、単なる「置き換え」に過ぎないと。
おそらくネタと思いますし、私もネタであると信じたいような話なのですが、インターネットを見ていて見つけた話を一つ。クラリネットを吹いている人に、「あなたの理想とするクラリネットの音はどんな音ですか?」と訊ねたところ、「バイオリンのような音が理想です」と答えたとのこと。このネタを見たとき、私は愕然とし、そして思いました。「じゃあお前、バイオリン始めろよ」と。
よく「ここ、弦楽器みたいなイメージで吹いてください」と指示する指揮者がいますが、確かに私も他の楽器をイメージすることは大切なことだと思いますし、私も楽譜や曲の雰囲気に合わせて楽譜の特定部分を他の楽器をイメージして演奏することもよくあります。
でも、世の中には本当にクラリネットに弦楽器の音を求めちゃう指揮者もいるみやいです。弦楽器の音を出して欲しいとクラリネットに頼むくらいなら、素直に弦楽器の人間を呼んでくるか、シンセでやれと。
一言ですまなくなってしまったのでこのあたりで。
 

最後になりましたが、私の結論もで〜ぶさんと一緒で、「それぞれの音楽文化を認め合い尊重しあって存続していけば良い」という意見です。決してどの演奏形態が優れているだの劣っているだのということは無いと、私は信じています。
「異文化コミュニケーション」ですが、私の場合はまずその機会を探さないと(汗)