「中国における反日デモ」の吹奏楽向け発展的解釈

今回の中国での反日騒動を見て思ったけど、「相手の言っていることを聞かず、声を大きく張り上げ、強引に自分の主張を押し通そうとする」なんて、子供のとる行動です。
今回の中国での反日騒動ですが、吹奏楽で例えると「指揮者の指示も見ず、他人の音をまったく聞かず、『○○に負けてなるものか!』と自分の音を大きく張り上げ、自分が吹きたいように吹く」状態でしょうか。 ・・・これってよく中学校の吹奏楽部なんかで見かける光景です。皆さんご承知のとおり、こんな状態で音楽をやっても「ただの自己主張大会」になってしまい、まともな音楽なんて絶対にできません。・・・1
各人の個性も、音楽的なバックグラウンドも、そして吹いている楽器の由来も異なる吹奏楽の世界で上手く立ち振る舞うには「まずは指揮者の指示に従い、お互いの音を常によく良く聞きあい、お互いの音を殺しあわないように音を出し、音楽的な嗜好や主張を乗り越えて音楽の方向性を統一する」必要があります。・・・2
しかし、これではまだ足りません。この状態を踏まえた上で、さらに「各人が確固たる自分の音楽に対する理想を保持し、その理想をつねに追い求め、お互いに音楽的な主張を戦い合わせ、そしてお互いがお互いの主張する音楽についてよく考える」必要があります。・・・3
上の2と3ですが、一見対立的な概念のように見えますが、決してそうではありません。2のみを追及すれば「ただ合わせて吹くだけ」「ただ言われたことをやってるだけ」という、奏者の意思がこもっていない、演奏する側も聞く側も非常につまらない、各所に欲求不満が噴出する音楽に陥ってしまいますし。3のみを追及すれば「ただの自己主張大会」という1と同じく、「バラバラで全く統一感が感じられない」「ただ吹きたいように吹いているだけ」という、とても聴けたものじゃない音楽に陥ってしまいます。「言われたとおりにやる演奏」も、「ただ吹きたいように吹く演奏」も、どちらも「子供の演奏」です。
お互いの主張を戦い合わせ、お互いがよくお互いの考え方を理解し、その中で生み出された共通見解を踏まえつつ、実際の演奏の中で出てくる音をよく聴きあい、演奏の中でお互いの音楽的な主張が喧嘩しないように音を出し、共に理想の音楽を追求していく。これこそが吹奏楽の理想の姿、これこそが「大人の演奏」であると私は考えます。
色々と超えなければならない問題は多々ありますが、最終的にはそんな「大人の演奏」を私は目指したいです。