吹奏楽版「祝典序曲」を鑑賞して

先日、吹奏楽版「祝典序曲」のCDを鑑賞して感じた点を書いてみます。

ショスタコービッチの「祝典序曲」ですが、元々はオーケストラのために書かれた曲ですが、吹奏楽でも何かとよく演奏される曲です。
元々この曲はA調で書かれた曲なのですが、吹奏楽において原調で演奏するのは非常に厳しいためか、よくA♭調に編曲されている譜面を見かけます。調が簡単になったおかげで演奏するのは非常に楽なのですが、それでも難しい!
 
さて、現在では多くの吹奏楽アレンジされたオーケストラ曲のCDが売り出されていますが、私は基本的に自分が出た演奏会のCD以外は吹奏楽編曲で演奏されたオーケストラ曲のCDを買わないようにしています。というのも、私は吹奏楽編曲されたオーケストラ曲を聞くのがあまり好きではないからです。
なぜ吹奏楽アレンジされたオーケストラ曲を聞くのが嫌いかというと、弦楽器のパートを吹いている管楽器(特にクラリネット!)の音から感じてしまう、あの何とも言えない違和感が大嫌いだからです。クラリネットが弦楽器のパートを吹いたところで、所詮はクラリネット、弦楽器のTuttiが醸し出す色彩感溢れる音の深みなんて感じられません。原曲であれば弦楽器が流れるように透き通った音色で豊かに響いてくる場面で、クラリネットの音が束になって鳴って来ると、それだけで曲をブチ壊してしまいます。
だからといって「クラリネットで弦楽器に近い音が出せるように目指そう」という、吹奏楽界の一部で耳にする例の風潮も大嫌いです。クラリネットは弦楽器の代わりとはなり得ませんし、なりたいとも思いません。クラリネット奏者として、弦楽器の音を目指すのではなく、あくまでも理想のクラリネットの音を追求して欲しいものです。
 
それと編曲者の方々へのお願い。どうせ編曲を行うのなら、「弦楽器のパートをそのままクラリネットに投げつける」という編曲を行うのではなく、「吹奏楽ならではの豊かな響きが鳴り響く」ような編曲を行って欲しいものです。