交通科学博物館に行ってきました

先日、大阪城公園に練習に行った帰りに森ノ宮駅で電車を待っていると、駅の掲示太陽の塔大阪モノレールではないモノレールが写ったポスターが貼ってありました。「太陽の塔の前に、なぜ大阪モノレールではないモノレールが走っているの?」と思い、ポスターに近寄って確認してみたところ、現在弁天町の交通科学博物館で開催されている「博覧会と鉄道」展の案内ポスターでした。ということは、このモノレールは万博会場を周回して走っていたモノレール()の写真だったんですね!
Wikipediaで確認みると、

運輸管理:東京急行電鉄
保守管理 : 東京急行電鉄・日立運輸東京モノレール

とのこと。このモノレール、大阪万博なのに東急+東モノだったんすか! 現在ではJR東日本の参加になった東京モノレールですが、もともとは日立の子会社として設立されたんですね。なお、開業当時は名古屋鉄道も経営に参加した実績があるとのこと。日本ヘリコプター輸送(全日本空輸)の設立など、名鉄ってどこにでも顔を出しますね・・・

交通科学博物館・「博覧会と鉄道」展

という訳で、交通科学博物館へ行ってきました。交通科学博物館にはいると、いきなり新幹線の模型がお出迎え。通常の展示はパスし、とりあえず企画展示室へ直行する予定だったのですが、軽く新幹線の模型を眺めていると、

協力:
西日本旅客鉄道株式会社
東日本旅客鉄道株式会社

・・・。新幹線といえば、「新幹線をご利用ください」の葛西帝国なのに???

いきなり会場模型

それはさておき、エリアに入ると、さっそく大阪万博開催当時の万博公園の会場模型がお出迎え。たしかに外周にモノレールが走っていますね! 現在では植樹がなされたり広大な芝生になっている万博公園も、当時は建物が所狭しと立ち並んでいたようです。会場模型をよく見てみると、西口ゲートから太陽の塔付近を結ぶロープウェイもあるし! 大阪万博の海外パビリオンといえば、月の石が展示されていたアメリカ館ばかりが話題になりますが、ソビエト館の外見目立ちすぎ! 日本観巨大すぎ!
私が会場模型から離れると、いきなり近くに居た人が会場模型のビデオ録画を開始・・・ かなり熱心そうに撮影しているし。。。

沖縄海洋博

会場模型の隣に、なんかボロいバスのようなものが実物展示されていました。このバスのようなものは、1975年に沖縄で開催された沖縄国際海洋博覧会の会場内で走っていたという新交通システムで使われていたものだそうです。沖縄海洋博の新交通システムといえば、第二次世界大戦沖縄戦沖縄県営鉄道が破壊されてからゆいれーるが開業するまでの約60年で沖縄県で走った唯一の旅客鉄道*1、かつ日本初の新交通システム営業路線です。雰囲気的には名古屋のガイドウェイバスや、愛知万博IMTSのようにどう見てもバスですが、この沖縄海洋博のKRTも一応は軌道交通事業に分類されていたそうです。ちなみにこのKRTで使われた技術が、ポートライナーで使われているそうです。

つくば科学博

つくば科学万博からは、つくば博のPRとトレインとして全国を巡回した「サイエンストレイン」に関する展示がなされていました。この列車内では、つくば博の紹介や、科学をテーマとしたアトラクションが展示されていたそうです。

愛知博

博覧会の展示鉄道といえば、リニアモーターカー。もう大阪万博の頃から「リニアモーターカーリニアモーターカー」と叫ばれており、愛知万博でも某JR社が「超伝導リニア館」を出展していましたが、いったい何時になったら「いわゆる典型的なリニアモーターカー」が開業するのでしょうか? 典型的ではないリニアモーターカーは、花の万博で開業した長堀鶴見緑地線や、愛知万博で開業したリニモなどで既に実用化されているのですが。
IMTSも紹介されていました。どう見てもバスですが、これもガイドウェイバスなどと同じく鉄道に分類されるそうです。軌道系交通機関ではありませんが、自転車タクシーが実物展示されていました。出元を見ると「関西サイクルスポーツセンタ」とのこと。近くですから・・・

大阪万博

他の博覧会からも色々紹介されていますが、展示のメインはやはり大阪万博のようです。会場内で展示・使用されていた軌道系交通システムや、大阪万博への交通手段として使われた、北大阪急行電鉄京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)、大阪市交通局日本国有鉄道(国鉄・現JR)の4事業者の取り組みが紹介されていました。

北大阪急行電鉄

現在では江坂からまっすぐ北に千里中央まで伸びる「鬼のパンツ」の接近警告音で有名な北急ですが、万博当時は千里中央の手前、中国道のあたりで右に大きくカーブし、現在大阪モノレールが通っている部分を走行し、会場のメインゲート前の万国博中央口(現在の万博記念公園駅付近)までを結んでいたそうです。この話を聞くたびに「大モノを作るより、北急の路線を残していれば(ry」と思ってしまうのですが。
なお当時の北急には緑地公園駅がなく、江坂駅の次は桃山台駅だったそうです。「江坂―桃山台千里中央―万国博中央口」って凄い駅間距離ですね。
会場では延伸工事の模様を収めたビデオも放映されていました。

京阪神急行電鉄

淡路と千里山を結んでいた千里線ですが、千里ニュータウンの開発や万博の開催を睨み、1967年に路線が北千里まで延伸されました。ちなみに1967年の北千里延伸時、日本で始めての実用的な自動改札機が北千里駅に登場したそうです。延伸当初は南千里北千里間に駅がなかったため、現在の山田駅の約400メートルほど北側に万国博西口駅が臨時駅として設置され、神戸本線宝塚本線からも十三折り返しの直通列車が設定されたそうです。この万国博西口駅葉万博閉幕と共に廃止され、後日改めて山田駅が設置されたとのこと。また、京都本線正雀駅茨木市駅間にも南茨木駅が設置され、会場までバスによるピストン輸送で結んでいたそうです。

大阪市交通局

直接万博公園までの路線は持たなかったものの、万博に向けて大阪市内の地下鉄網の整備を図り、特に万博輸送対策として北急線と連絡するために御堂筋線を江坂まで延伸し、千里線と連絡する堺筋線が建設されました。万博期間中は北急や阪急と相互直通運転を行い、多くの乗客を大阪市内から万博会場へ輸送したそうです。

日本国有鉄道

国内遠隔地からの万博来場には、おもに国鉄が使われていたそうです。東京オリンピックに向けて建設された東海道新幹線ですが、万博対策として輸送力強化が図られ、それまで12両編成だった「ひかり」が16両編成に増強されたそうです。当時の子どもたちにとっては今以上に新幹線に乗ることは特別なことで、新幹線は万博輸送だけではなく、「動くパビリオン」としての役割も果たしていたそうです。また、在来線にも臨時列車を走らせたり、日本各地から万博へ向けての企画切符も発売されたそうです。

花博

花の万博も紹介されていました。花博といえばリニアモーター地下鉄の長堀鶴見緑地線。当時は「リニアモーターカーなのに、なんで浮かずに車輪で走るの」と駄々をこねたものです(汗 ちなみに実用化されたのは長堀鶴見緑地線が始めてだそうですが、かの「さいたま博覧会(http://the-mqr.hp.infoseek.co.jp/banpaku/exc88.htm:title=→)」でも車輪式リニア鉄道が会場内を走行したそうです。
花博といえば「風車の駅」と「山の駅」を結んでいたSL義経号。風車の駅の駅舎は小浜線若狭本郷駅の駅舎に、山の駅の駅舎は福知山線柏原駅の駅舎に、義経号は交通科学博物館にて動態保存されています。
あと、ウォーターライドも紹介されていました。ウォーターライドといえば(以下略)

*1:鉄道自体は南大東島のシュガートレインなどが走っていた