「すいそうがく」2008年7月号

全日本吹奏楽連盟の広報誌、「すいそうがく」2008年7月号が連盟のページにアップされていました。
http://www.ajba.or.jp/suisougaku178.pdf

連盟70周年

そういえば、今年って吹奏楽連盟の創設70周年なんですね。
1978年の連盟創設40周年の折には、記念事業としてR.ジェイガーに「ジュビラーテ」、W.F.マクベスに「カント」、岩井直溥「ポップス変奏曲「かぞえうた」」、上岡洋一に「砂丘の曙」を委嘱し、これらは同年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲として採用されましたが、今回は特に委嘱とかしないのでしょうか?

ちなみに連盟創設70周年の記念事業っていうのは、「全日本吹奏楽連盟作曲コンクール」の創設と職場の部と一般の部の統合ですか(汗

総会

今年の総会は、職場・一般の部の統合問題、人数制限の改定、課題曲Vの件になどついて、「全日本連盟が独走している」と、例年以上に各会員連盟から意見が噴出したようです。
全日本で決めたことに対して、加盟団体から突き上げを喰らうのは各府県連盟(会員連盟)、おそらく今春の各府県連盟の総会の場などで、加盟する職場一般団体を中心に突き上げがあったのでしょう。
各会員連盟に対してその加盟団体に根拠を持って説明するための説明を開催せず、このような大きな動きを起こしたのは、全日本連盟のミスでしょう。

職場の部と一般の部の統合

総会でもいろいろと異論が出たようですが、元から非常に少なかった上ここ数年でさらに減少を続ける職場の部の現状を鑑み、来年から職場の部と一般の部が統合され、それに合わせたレギュレーション調整のため制限人数が65人に設定されることになりました。
分離創設された一般の部とは違い*1、職場の部は戦後吹奏楽コンクールが復活した時から独立した部門として存在したため、職場の部関係者は忸怩たる思いを持っていることでしょう。

「じゃ、戦前はどうなの?」と気になったので、戦前の大会記録が掲載されている「◇吹奏楽コンクール裏面史(特集・日本の音楽競技史)/目黒三策(『音楽之友』 第3巻第1号 1943年01月 p.68-73)」を参照したところ・・・
http://www.ne.jp/asahi/yasuyuki/koseki/read_1b_ONTOMO_note_194301.htm
「裏面史て、65年も前から吹奏楽コンクールは黒かったのか!」というツッコミはさておき、大日本吹奏楽大会でも、全国大会が開催される以前から開催されていた関東大会でも、大会部門は「学生」と「一般(現行の一般の部+職場の部)」という構成でした。
ということは、道理が無いと叩かれていた統合問題ですが、「橿原神宮で開催された第一回大会と同じ姿に戻す」ということで一応は大義は立つんですね・・・ あまり同意いたしかねますが。

しかしこのあたり記事を何度読んでも、吹奏楽コンクールが抱えている問題って、コンクール創設当時から変わっていないんだな〜と思います。(10年ほど前に読んだ1960年代のバンドジャーナルにも、同じような問題点が指摘されていました)

全日本吹奏楽コンクール等への出場枠

職場・一般の部の統合前最後となる今年の全日本吹奏楽コンクールの出場枠ですが

コンクールなど各大会の代表数は、各支部の基礎数に前年度の参加団体数を加味して設定しております。参加団体数は、毎年変わりますので代表数が前年と変わる場合もあります。この代表数については、各大会で1支部の基礎数をいくつにするか、前年度の参加団体数をどのように把握するか、そして参加数による加味はどのように設定するか、などについて、今年は改めて検討していきたいと考えております。

との理事長の所信表明にもかかわらず、昨年と変わりませんでした。
それにしても、いまさら「前年度の参加団体数をどのように把握するかについて検討していきたい」って酷くないですか?

また、現在は全支部一律割当となっているアンサンブルコンテストの出場枠ですが、東関東連盟と西関東連盟より比例配分方式に変えてほしいという意見があり、検討をおこなうそうです。

*1:吹奏楽コンクール復活当初は大学と一般が同一部門