京都に行ってきました その2

京都会館

平安神宮を出て、次は京都会館へ。この日はコンクールをやっていたらしく、沢山の中高生が京都会館の前にたむろっていました。ホールの予定を見てみると、どうやら8日間連続で府大会を開催するようです。京都会館大ホールを8日間も連続して借りるとは、恐るべし京都府吹連! というか、事前に地区大会を開催すれば良いのに。

京都会館といえば、中学生のころに食べに行った、ごく普通のメニューにもかかわらず、やたらバカ高い値段だったのが印象的な京都会館の食堂。さすがにこのご時勢、その食堂は潰れてしまったらしく、「ホールの食堂」程度の値段の食堂ができていました。という訳で、まだお昼を食べていなかったので、ここで食事をとることに。昔と比べて安くなったとはいえ、それでも良い値段だったので、とりあえず安くてボリュームのありそうなカレーを食べることに。食堂には外国人客がたくさん来店しており、京都会館の周辺が有名観光地だと再認識。

琵琶湖疏水インクライン

京都会館で昼食を食べたあとは琵琶湖疏水を探索。インクライン廃線跡が残っていた筈なので、それを見に行くことに。途中、動物園があったりと、なかなかのどかな場所でした。

琵琶湖疎水は、琵琶湖の水を京都市へ運ぶために作られた水路だそうで、この疏水の完成とともに、琵琶湖と京都の高低差を利用した水力発電所も建設されたそうです。この発電所が日本初の営業用水力発電所だそうで、この発電所で発電された電力が京都の近代化に貢献するとともに、日本初の路面電車を走らせるための動力にもなったそうです。琵琶湖疏水はその後も拡張を重ね、現在でも京都市の水道用水として使われているそうです。
琵琶湖疏水は、現在も活用されている発電や水道用水としてだけではなく、かつては京都の鴨川(そして、さらに下流の淀川沿いや大阪)と琵琶湖を結ぶ水運にも使われていたそうです。しかし、この付近では、疏水の勾配がきつ過ぎるため、インクラインと呼ばれるケーブルカーのような路線が敷設され、船を線路の上の台車に載せて移動させていたそうです。
このインクライン、京津間の鉄道の開通や道路の近代化などにより、明治期には廃れてしまったと思っていましたが、京都−大津間に鉄道が開通し、逢坂越えの道路が近代化されたのちも活用され続け、廃止は戦後のことだそうです。
廃線跡を歩く趣味はないのですが、せっかくだから、歩いてみることに。アメリカ映画の「スタンド・バイ・ミー」っぽいシチュエーションですが、電車が走っている線路でコレをやると、もれなく警察に捕まっちゃいます

インクライン山下駅付近には、琵琶湖疏水を記念して京都市水道局が建設した、無料で入館できる疏水記念館が建っており、疏水の歴史や仕組み、現在の役割などを見ることができました。