オリエント急行

先日、鉄道もスパーク作品も好きな私としては大好きな曲の一つである、「オリエント急行(P.スパーク作曲)」を合奏しました。

この曲ですが、出発駅の喧騒を描いた情景、オリエント急行が駅から出発する情景、列車が広野を軽快に走る情景、列車が急峻な山を登る情景、列車に揺られて夢見心地になる情景、再び列車が広野を軽快に走る情景、列車が駅に到着する情景、などが描写されており、鉄道ファンとしては必聴の一曲です。特に、列車が走り出す情景を描いた部分は、感動の涙無しには聞けません。
また、スパークらしい華々しく軽快な曲想で、聴いても吹いてもスカッとした気持ちになる曲なので、鉄道ファンではない吹奏楽人にもオススメの一曲です。

この曲は鉄道を描写した曲ということで、「パシフィック231(A.オネゲル作曲)」や「A列車で行こう(B.ストレイホーン作曲)」と並び、吹奏楽もする鉄道ファンにとって外すことのできない曲の一つとされています。
ちなみに、一般的には吹奏楽曲と思われているこの曲ですが、もともとはブラスバンドのために作曲された曲だそうです。(スパークの曲は、ほとんどブラスバンドからの編曲作品ですが)


オリエント急行とは

曲目解説は詳しい方に譲るとして、そもそもオリエント急行は、アメリカを旅行した折に当時アメリカを走っていたプルマン社の寝台車に感銘を受け、ヨーロッパでも同等のサービスを提供しようとベルギーの銀行家ジョルジュ・ナゲルマケールスが設立したワゴン・リ社によって、1883年10月4日に運行が開始されました。
鉄道ファンとしては、「プルマン」や「ワゴン・リ」の名前を聞くだけで興奮してきますね。


余談ですが、「そもそも今でも鉄道が残っているの?」と思われ、一般には鉄道が衰退しきった国と思われるアメリカですが、今では時折伝えられるアムトラックの惨状のとおり、旅客輸送は自動車や航空機にその座を奪われ、完全に衰退しきっているものの、貨物輸送の面では今でも世界最大の鉄道大国だそうです。
今では衰退しきった旅客輸送ですが、19世紀〜20世紀初頭のアメリカの鉄道界は長距離旅客輸送の黄金時代だったそうで、
また20世紀初頭には、今でいう日本の大都市近郊路線のような鉄道網が大都市近郊に張り巡らされ、誕生間もない日本の民鉄各社はアメリカの近郊鉄道会社を範に企業経営をおこなったそうです。


アメリカの話はさておき、ヨーロッパとアジア(オリエント)を結んでいたオリエント急行は、当初パリ・ストラスブール駅(パリ東駅)‐イスタンブール間を週1便運行にて6日間かけて走行していたそうです。
運行開始時の両駅間の経路は、パリ‐ストラスブールミュンヘン‐ウィーン‐ブダペストブカレスト‐ヴァルナ‐イスタンブールだったそうですが、運行開始当時はドナウ川とヴァルナ‐イスタンブール間は鉄道連絡船による連絡だったそうです。

さすがにイスタンブールまでの需要はそれほど多くはなかったのでしょうが、途中駅までの需要は旺盛だったため、1885年にはパリ‐ウィーン間は毎日運行に増便されたそうです。また、鉄道連絡船による連絡だったドナウ川とヴァルナ‐イスタンブール間にも線路が敷設され、1889年にはイスタンブールまでの直通運転が開始されたそうです。


その後、第一次世界大戦等の戦乱による混乱や国際情勢の悪化による運行停止や運行経路変更があったものの、第一次世界大戦による荒廃から欧州が立ち直った1930年代、欧州では寝台列車の黄金時代を迎え、オリエント急行も多くの系統で多くの便が運行されるようになりました。
しかしその黄金時代は長く続かず、第二次世界大戦の開戦により、オリエント急行をはじめとする寝台列車の運行は、再び停止されてしまいました。

第二次世界大戦の終了後、再び欧州各地で鉄道が復興し始めました。しかし東西冷戦の開始によってヨーロッパ内での交流が遮断され、また戦後飛躍的に発達した自動車や飛行機に圧迫され、徐々に鉄道による旅客の国際長距離輸送は衰退をはじめました。
1977年、ついに最後まで残った「ダイレクト・オリエント急行」が廃止され、ここにヨーロッパとアジア(オリエント)を結んでいた本来の意味での「オリエント急行」はその歴史に幕を閉じました。


現在のオリエント急行

現在ヨーロッパで活躍している「オリエント急行」は1980年代の中頃に登場した名称復活列車で、パリ東駅‐ウィーン西駅間を最初のオリエント急行と同じ経路で走行しているそうです。

また、かつてのオリエント急行黄金時代に使用されていた車両を使った、あるいは当時の雰囲気を再現したバイバル列車(和風な表現をすれば「なつかしの『急行オリエント』号」)もさかんに運転されています。


日本を走行したオリエント急行

オリエント急行と聞いて忘れてはならないのが、バブル真っ盛りの1988年にパリ‐東京間をフジテレビ開局30周年企画として運転された「オリエント急行'88」!
そもそも「オリエント急行を日本まで走らせよう!」という発想がバブリーですね。


ちなみに当列車の運行経路はパリ・リヨン駅‐ランス駅‐ストラスブール駅‐フランクフルト中央駅‐ベルリン・リヒテンベルク駅‐ソハチェフ駅‐ワルシャワ駅‐ブレスト駅‐ミンスク駅‐モスクワ・ベロルシア駅‐モスクワ・ヤロスラブリ駅‐ノボシビルスク駅‐イルクーツク駅‐ウラン・ウデ‐ザバイカルスク駅‐満州里駅‐ハルビン駅‐北京駅‐香港・九龍駅‐(香港‐山口県下松港)‐広島駅‐東京駅だったそうですが、香港‐山口県下松港間は航送、また日本は狭軌の国なので日立製作所笠戸工場にて台車交換を行なったそうです。

経由国もフランス‐西ドイツ‐東ドイツポーランドソ連中華人民共和国‐香港‐日本と、冷戦最末期とはいえ、なかなか感慨深い経路です。


この列車を見て衝撃を受けたJR各社は、その後、夢空間(JR東日本)やトワイライトエクスプレス(JR西日本)を誕生させたそうです。


さすがにヨーロッパまで「情景描写のため」といってオリエント急行を見に行くのは辛いので、とりあえず大阪駅トワイライトエクスプレスを見てハァハァしておこう。